若宮八幡宮は、八幡塚六郷神社(東京大田区東六郷にあり、源頼朝が鎌倉攻略のとき、この地に陣を張り勝利し、その御礼に鶴岡八幡宮を分祀した)の氏子たちが、大師河原干拓のために移り住んだおりに、御祭神を分祀したのがはじまりといわれ、仁徳天皇をお祀りしてる。
それは、多摩川の治水を考えてのことであった。仁徳天皇は淀川の治水工事を完成させたことによって干拓事業の守護神として崇められていることから祀られたもので、多摩川の洪水に悩まされた大師河原の人たちの心からの願いが込められたものであった。また、仁徳天皇の御製「高殿にのぼりてみれば煙たつ民のかまどはにぎわいにけり」の和歌にあやかって、「日々の生活がよくなるように」という人々の切望でもあったのである。(因に、御父、応神天皇をお祀りした神社を八幡宮といい、その御子をお祀りするところから若宮八幡宮という)
また、「若宮」という名から、子ども・若者の守護神でもある。
創建年代については明白ではないが、『小田原衆所領役帳」(永禄二年 1559年)に朱印地三石と記されていることが初見されるので、おおよその推定はできる。
江戸時代、江戸市中の人たちの川崎大師平間寺への参拝は、多くが東海道を上り、六郷の渡しを渡るものであった。茶屋として有名な万年屋の脇から平間寺に至る、いわゆる大師道に位置する若宮八幡宮もまた、大いににぎわったことがうかがい知れる。境内には歴史を伝える碑等が遺されている。その一つに二ヶ領用水に架けられていた石橋の欄干がある。これは仏教の九品思想によるもので、苦界<九橋>を抜けて極楽浄土<平間寺>に至るという考えを象徴している。天保四〜五年、現在の川崎区旭町から平間寺にいたる二ヶ領用水に九ヶ所の橋が架けられたうち、最後の橋のものである。現在平間寺の鶴の池畔にその由緒を記す碑がある。また力石も数多く遺されている。
金山神社のほかに、境内社として藤森稲荷神社、大鷲神社、厳島神社が祀られている。これらは、以前、大師河原の守り神として、それぞれの地にあったものであるが、近年の再開発計画等によって若宮八幡宮に祀られることとなったのである。さらに大師地区に所在する水神社、川中島神明神社、塩浜神明神社、塩浜稲荷神社、汐留稲荷神社、日ノ出厳島神社、田町稲荷神社、田町厳島神社の総鎮守となっている。
川崎大師たより 第496号より
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